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大阪高等裁判所 昭和62年(う)790号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人三木秀夫作成の控訴趣意書記載のとおり(ただし、控訴趣意書第一の一の(二)の③は陳述しなかつた。)であるから、これを引用する。

控訴趣意第一の一について

論旨は、要するに、原判決は、原判示第一の事実として、事故報告義務違反の事実を認めたが、原判示の交通事故が発生した際、被告人と相手方車両(以下「京阪バス」という。)運転者であるAとの間において、被告人が負傷者の救護を、Aが事故報告を、それぞれ分担して行う旨の合意が成立しており、被告人が負傷者Bを病院に搬送して救護している間に、事故報告が完了していたのであるから、被告人が逃走をした時点においては、既に事故報告義務は消滅しており、右義務違反の罪は成立しないのに、右の合意のあつた事実を認めず、被告人自身が事故報告をしなかつたということだけで、被告人において重ねて事故報告をする必要性、合理性の存在しない本件事案について、事故報告義務違反の罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第一の事実は、所論の事故報告義務の点をも含め、優に肯認し得るところであつて、原判決には所論の誤りはないものと認められる。

すなわち、これらの証拠によると、被告人は、昭和六〇年九月一八日午前六時二五分ころ、普通貨物自動車を運転し、原判示第一の交通整理の行われている交差点を直進中、同交差点内において、対向右折してきたA運転の京阪バスと衝突する交通事故を発生させ、被告人車は、前部を大破して、同交差点北西角の歩道上に乗り上げて停止し、京阪バスは、左後部を破損して、同交差点から西に通ずる道路側端に停車したが、右衝突により被告人車に同乗していた被告人の兄C及び同人の長男Bの両名が負傷をしたこと、京阪バスのA運転手は、下車して左両名が負傷していることを知り、直ちに救急車の手配と警察への通報を乗客の一人に依頼し、その後も事故現場にとどまつていたこと、しかるに、被告人は、A運転手から、間もなく救急車が来ると聞かされていたのに、自分でBを病院に連れて行くと言つて、救急車や警察官が現場に到着する前に、兄Cと二人で、Bを背負つて、A運転手に教えてもらつた近くの向山病院へ行くため現場を離れたこと、そして、同病院に向う途中で、Bの救護を兄Cに任せ、一人で電車を利用して、金を取りに自宅に帰つた後、同日午前九時三〇分ころ、再び同病院附近まで引き返して来たが、その際、パトカーを見て、無免許運転中に人身事故を起こしたことや執行猶予期間中であつたことなどから、逮捕されることを恐れ、そのままその場から立ち去り、以後、原判示第三の無免許運転の事実で逮捕されるまでの約一年二か月間、逃走を続けていたこと、以上の事実が認められる。

所論は、被告人とA運転手との間において、事故報告を同運転手に任せる旨の、明示又は黙示の合意があつた旨の主張をしているが、そのような事実を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、被告人は、原審公判廷において、同運転手とは警察に対する連絡について話したことはなく、また、事故報告は念頭になかつた趣旨の供述をしているのであつて、これらに徴すれば、所論の合意の存在は認め難いといわざるを得ない。

所論は、また、被告人が逃走をした時点においては、既に、他の者によつて事故報告がなされていたのであるから、被告人の事故報告義務は消滅していた旨の主張をしている。確かに、本件の場合においては、A運転手から事故報告がなされている。しかしながら、本件のように、自動車相互間で交通事故が発生した場合においては、それぞれの自動車運転者が事故報告義務を負うことは規定の明文に徴し明らかであり、しかも、報告をすべき事項としては、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度、当該交通事故について講じた措置なども含まれているのであつて、これらの事項は本件の場合、被告人において自らこれをなすべきであつたと認められるから、A運転手のした事故報告によつて、報告人の事故報告義務が消滅したものとは解し難い。

右に認定した事実と説示した内容によると、原判示第一の事故報告義務違反の事実は明らかであつて、その他所論にかんがみ更に検討しても、原判決には所論の事実誤認、法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一の二について

論旨は、要するに、原判決は、原判示第三の事実として、無免許運転の事実を認めたが、原判示の場所は、道路交通法にいう道路ではなく、被告人のした自動車の運転は、無免許運転には該当しないのに、これを無免許運転に当たるとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認並びに法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第三の事実は、所論の点をも含め、優に肯認し得るところであつて、原判決には所論の誤りはないものと認められる。

すなわち、これらの証拠によると、原判示第三の場所は、南北約3.7メートル、東西約28.5メートルの路地であつて、南北の両側には二階建の文化住宅が建つており、同住宅所有者が所有する私有地であること、文化住宅一階(北側六戸、南側八戸)の出入口は本件路地に面しており、路地の東側は行き止まりになつているが、西側は幅員約4.2メートルの府道に通じていること、路地の出入口においては、特に人及び車両の通行を禁止又は制限する等の措置は採られておらず、現に人、自転車、自動二輪車等が自由に通行していること、以上の事実が認められるのであつて、これらの事実によると、本件場所は、道路交通法所定の道路、すなわち同法二条一号にいう「一般交通の用に供するその他の場所」に当たるものというべきである。

所論は、本件場所は、両側に二階建の文化住宅が面し合つて建つている非舗装の「庭」的な空地であつて、道路としての体裁は無い上、その使用の状況も、居住者が日常的に使用する程度であつて、道路としての要件である、不特定多数の通行に供されるという継続性、反復性、公開性に欠けている、と主張している。

しかしながら、本件場所がいわゆる「路地」としての体裁を有していることは、原審並びに当審で取り調べた本件現場写真によつて優に認め得るところである。また、その使用の現況についても、確かに本件場所は行き止まりになつているため、主として文化住宅の居住者又は同住宅への来訪者のみが通行に供していると認められるが、文化住宅の戸数は一階部分のみでも一四戸あり、路地入口に階段のある二階部分をも含めると、相当数の居住者が日常使用しているものと推認される上、本件路地が直ちに府道に接していることなどに徴すると、本件場所は、所論の点を考慮しても、なお「一般交通の用に供する場所」と認むべきである。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決には所論の事実誤認、法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

論旨は、量刑不当を主張するものである。そこで、所論にかんがみ記録を調査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、本件は、事故報告義務違反一回、無免許運転二回の事案であつて、これら犯行の罪質、動機、態様及び被告人の前科、とりわけ、被告人は、昭和五六年一月二二日に無免許運転により罰金四万円に、昭和五八年二月八日に無免許運転及び業務上過失傷害により懲役一〇月・三年間執行猶予に処せられていること、原判示第一の事故報告義務違反の事案は、無免許運転による検挙と執行猶予の取消を免れる目的で犯したものであり、原判示第二の無免許運転の事案は、運転免許がないのに自ら自動車を購入し、これを工事現場への往復等に運転使用するなど、無免許運転をくり返す過程で犯したものであつて、いずれも前記執行猶予期間中の犯行であること、原判示第三の無免許運転の事案は、逃走して原判示第一及び第二の罪の追及を逃れている間に犯したものであることなどに徴すると、本件の犯情には軽視を許されないものがあるというべきであつて、被告人の平素の生活態度、稼働状況、家庭の事情、反省の情のほか、法律扶助協会に対して合計金二〇万円の贖罪寄附をしていることなど所論指摘の諸点を十分に考慮しても、なお本件は実刑を相当とする事案と認めざるを得ず、被告人を懲役三月に処した原判決の量刑は、やむを得ないところであつて、重過ぎて不当であるとまでは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾鼻輝次 裁判官岡次郎 裁判官森下康弘)

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